身体の状態で世界は変わる

今回の体調不良では常に頭痛とめまいと吐き気があり、寝ても治らず、まともに食事も取れない。

この苦痛が常に続くのなら、最早生きること=拷問みたいなもんで、もう死にたいと思った。

そこで思ったのは、リストカットする人ってもしかしたらこういう苦痛が常にあるのかもしれないなと。精神的な苦痛を肉体的な苦痛に置き換えることで楽になる。と聞いたことあるけど、その精神的な苦痛ってのがこういうもので、それがリストカットすることで一時的にでも楽になれるならやりたくなるのは当然。実際にはやらなかったけど、やってみようかな。とか思ったし。

身体の自由が効かなくなった老人とかも。そこは個人差があるから、どの程度の苦痛があるのかは外からではわからないけど。それが外から見てわかる人もいるような気がするが。

そうやって身体から常に苦痛を与えられていたら、他人を気遣う余裕なんてなくなりますよね。

っで、苦痛の度合いに個人差があるように、常に苦痛は感じてなくても、逆に快適さに個人差があるとするなら、身体が快適になればなるほど余裕が出てくるからそれだけ他人にも優しくなれる。許せるようになる。

なんていうか、「普通」の状態がもう人によって全然違うってこと。体調が良いとか悪いとか感じる「普通」の基準が。

大多数の人にとっての絶好調が、一部の天才、達人にとっての絶不調よりも遥かに調子が悪い状態なんだと予想してます。

このことは、ずっと前から頭ではそうなんだろうと思ってたけど、なんか自分とは関係ない別世界の話な気がしてたのと、とりあえず僕の今の環境では絶対に身体をそんないい状態には出来ないから、まずは環境を変えなくては。と思ってそっち方向の努力をあまりしてなかった。

そうやってるうちに身体は追い詰められて限界が来たんだろう。環境を変えなくては。ってのは正しいけど、それでもケアしなければ身体の状態は悪くなる一方だし、身体が悪くなればなるほどますます環境を変えることは難しくなるわけだから、今がどんな環境であってもやるしかない。


こんなことを書こうと思ったのは、例のAさんから「決定版ゆる体操」という本を勧められてアマゾン見たらレビューで「ゆるむだけで他人を許せるなんてありえない」とか書いてる人がいたから。

僕もつい最近まで実感として理解出来てなかったのであまり偉そうには言えないけど、普通はゆるむとか固まるとかそういう感覚を知らないから、その度合いで「普通の快適さ」が全然変わることも知らないから、許せるとか許せないとか優しいとか優しくないとかそういうことと身体の状態が関係あるなんて思わないからですね。

身体の状態によって受ける苦痛も快感も自分のしかわからないから。体調が普通の時に、他人と自分が全く違う感覚を味わっているなんて普通は考えないから。

今回体調悪くなってから最初にAさんに会ってマッサージ的なやつをやってもらった後、外に出たときに、来る時とまるで違うことに驚いたんですよ。

同じ場所のはずだけど、吸う空気も見える景色も明るさも匂いも。なにもかもが違う。

空気が綺麗で水や食べ物が美味しい田舎に住みたいと思いますが、同じ場所にいても身体の状態が良くなるだけでまるで違う場所に来たみたいに変わるんだなって。いや、もちろんそれが田舎なら尚更その空気の綺麗さを感じるだろうからもっといいんだと思いますが。

スポンサーサイト

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

コメントの投稿

Secret

プロフィール

Franky666

Author:Franky666
ニコニコ動画で実況プレイとかいうやつをしてたりしてなかったり。
マイリストpart1集
http://www.nicovideo.jp/
mylist/22423300

このブログは、テーマとかありません。
気が向いたらテキトーに更新します。

好きな言葉

最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できるものである。(ダーウィン)

自分が眠っていると気づいた人は、その瞬間、すでに半分目覚めている(ウスペンスキー&グルジェフ)

常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう(アインシュタイン)

最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード